ベトナムってどうなん?

ベトナム人と家庭を築きながらベトナムを考える

ベトナムの子どもが転んだとき

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ベトナム人は謝らないとか言い訳ばかりするとよく言われます。習慣とか文化性で片付けられることが多いですが、先日友人のベトナム人が子どもの育て方に関連付けて持論を展開していました。それが正しいかどうかはともかく、なかなか興味深かったので記事にします。


・ベトナム人の子どもが転んだ時の大人の接し方
子どもが躓いて転んだとき、自力で立つために敢えて手を貸さない親も多いかと思います。ベトナムでもそういう人はいますが、日本人と比べて比較的すぐに手を貸す親が多いのではないかと言う友人。この時点で既に自立主義の日本人と、家族依存主義のベトナム人の差が生まれると。また子どもが転んだ時に子どもを泣き止ませるため、転んだ原因になったもの(例えば石など)を諫めることがあります。


具体例*「悪い石ころだね。こんなものはこーしてやる!」と言ってやっつけるデモンストレーションを子どもに見せる。


全部の親がそういうスタンスではないですが、確かにこういう光景はこちらに住んでいるとよく目にします。特におじいさん、おばあさん世代に多いような気もします。

友人の分析では「これは幼児期の一時的な光景に過ぎないが、躓いたのは自分の不注意によるものではなく、そうなってしまった原因(=石)が悪いという、責任転嫁の習慣がある。つまり根底にこういう感覚が根差しているから大人になっても何かあったときに謝罪ではなく、原因の言い訳を先に言うようになるのではないか」と。

中々興味深い指摘ではあります。上のやり取りが幼稚園児以下ぐらいであったとした場合、これがそのまま成長すると以下のような思考回路が形成されるのかもしれません。


・石に躓いて転ぶ→注意していなかった自分を反省するのではなく、そこに石があることに対して怒る→また他の石に躓く→繰り返し


これを謝らず言い訳するベトナム人に置き換えると、


・(例)遅刻する→自分の行動ではなく遅刻することになった外的要因の責任と考える→再度遅刻→繰り返し


ちょっと論理が飛躍しすぎでしょうか?日系企業の管理職でベトナム人の遅刻問題に頭を抱える人は大勢います。日本人から言わせれば「ちょっと早く家を出る」ですべて解決することができるはずですが、上の仮定のベトナム人から言わせれば、


「自分は何もなければ職場に間に合う時間に家を出ている。それが渋滞やら、大雨だとか外的要因で遅刻になるだけだ。自分の行動を反省して改める点は何もない。」


ということになるのかも。半ば諦めと言うか数分の遅刻は見て見ぬふりをしている管理職もいるぐらいで、それはそれでどうかとも思います。まあ今回の理論はあくまでベトナム人の友人の分析から私が邪推したものにすぎませんが。。。