ベトナム人と以心伝心
海外に行って、あるいは日本で外国人に対して、
「そんなことも言わなくて分かるだろ」
という考えは大変危険で、そういう風にふるまうとあらゆる場面で失敗します。以心伝心と言いますが、そもそも同じ環境で同じ常識範囲で生まれ育ってないわけですから言わないと分からないのは当然です。(まあ言っても理解されないケースは往々にしてありますが。。。)
なので外国人に対しては、はっきりものを言う感じで日本人が聞いたら若干きつく聞こえるぐらいのほうが、理解されやすくありがたいと思われたりします。
ところで、そんなことは外国人と接するときの基本と高を括っていた私でしたが、先日ふと思ったことがあります。
「意外と外国人(ベトナム人)でも以心伝心はできるもんだ。。。」
というのも私の妻やベトナム人の同僚、部下は、こちらが言う前に言わんとしていることを酌んでよく動きます。どうやら長い期間の関わりの中である程度理解されるようになったようです。
考えてみれば同じ環境で暫く時を過ごしていると、相手の性格や考え方などは自ずと分かってきます。日頃からたわいのない話をしているときでも、相互理解の役に立っているということなんでしょう。この「以心伝心」でも時間があれば国籍関係なく成り立つ言葉だということが分かります。逆もしかりで私も彼ら彼女らの思考を読んで行動することはよくあります。
なので例えばある場面において、ベトナム人のスタッフが
「~さん(私)はこういうの嫌がるだろうから、やめておこう」
と考えるのもその一つで、これは「空気を読む」という言い方もできるかと思います。「空気を読む」ということも結局同じ価値観の中で、それに沿った行動をとるということでしょうから、一緒にいればいるほどその価値観を共有しやすくはなるんでしょうね。結局どこの国の人であろうが、ある程度時間を共有してやり取りを続ければ「言わなくても分かる」関係は十分構築できるのかなぁと。またそういった関係の人とは一緒にいて居心地がいいものです。
相互理解にコミュニケーションがいかに大事かということを実感させられます。