歩かないベトナム人
ベトナムがバイク社会なのは有名な話ですが、大人になると一人一台バイクを所有して、どこに行くにもバイクで行きます。自宅から目的地までそのままバイクで乗り付けるわけですから、ほとんど歩くことがありません。
そう考えると電車通勤をしている日本人は自宅から駅まで徒歩または自転車、そして最寄駅から職場まで歩くわけですから、案外日常的に歩いているということになります。それでも運動不足を気にして一駅手前で降りて歩いたり、ジョギングをしたりしている人もいるわけですから、日本人はベトナム人よりよく歩いていると思います。
日常的に目的地までバイクで乗り付けてることに慣れているベトナム人は歩くことをやたら嫌がります。私からしたら「これぐらいの距離歩いたら?」と思う距離でもバイクで行こうとしますし、同じ距離を歩いたとしてもベトナム人は疲れるのがやたら早いなあと感じるものです。もちろん日常的によく運動している人とかは体力がありますが、そうではないベトナム人は基礎体力が日本人より劣っているような気がします。
そういえば子どもを学校までバイクで送り迎えする親も多いですが、これも子どもの通学という歩く機会を奪っているような気がしてなりません。成長期の子どもから日常的な運動の機会を奪うというのは体力的な成長に結構影響を与えているんじゃないでしょうか。まあ交通マナーが悪くて子どもだけで学校に行かせたら危ないとかいう事情もあるんですが。。。
以前私の友達のある日本人女性が面白いことを言っていました。その人はフィットネスに通うなど健康に関する意識がかなり高い人なんですが、
「ベトナムの女の子はバイクに乗って全然歩かないから、30歳を過ぎてからの脚の筋肉の衰えが早いのよ。バイクにまたがっているときによく太ももの垂れた肉を見るけど、あれは絶対日頃歩かないからだわ。」
なるほど、一理あるなぁと思います。同じ女性目線だから気づく部分でしょうか。日本で太ももをさらけ出してバイクにまたがる30代の日本人女性を見た記憶がないので単純にビジュアル比較はできませんが、脚の筋肉の衰えとバイク社会の相関性は絶対あると思います。
近年では少しずつ運動への意識改善からジョギングやウォーキングをする人も増えていますが、バイクでの移動はまだまだこの先も変わることはないでしょう。
ベトナム人と恋人同士になるまで
カップルの記念日でよくあるのが付き合った日の記念日。記念日好きの人の場合、付き合って何か月記念日とかいう面倒くさいのも設定していたりします。舞い上がっているカップルによく見られますが、ベトナムではこういった付き合った記念日というものは存在しません。そもそも付き合った日をはっきりと特定することが困難なのがベトナム人のカップル事情です。
日本では一般的に男女どちらかが告白して、相手からOKをもらえればカップル成立。つまりその日が付き合った日となるわけですが、ベトナムでは(99%男性が)告白したその場で返答をもらうというのがありません。告白後に女性はその気持ちがどれほどのものなのかを測るために何度かデートを重ね、そして徐々に気を許していくといった感じになります。
なので男性は相手を自分の彼女にするために色々なアプローチを仕掛けていくわけですが、結果的にその女性がその気にならなかった場合はそのままフェードアウトされるような形になります。
だからある意味ものすごくじらされている感があるわけですね。私もその例外ではありませんでした。当時今の嫁が自分の彼女なのかどうか確信を持つのにずいぶんヤキモキさせられらことを覚えています。
一応私の感覚では、「好きという意味の言葉に対して相手も好きという意味の言葉を返してくるか」、または「カップルとしてのスキンシップ(腕を組むとかキスなど)があるか」というのが、恋人かどうかを判断するバロメーターになるのかなぁといったところです。
まあ基本的に女性は奥手なので上記のことも男性側から仕掛けていく必要があるわけですが、タイミングを間違えると折角の苦労が水の泡になる可能性もあるわけです。正直付き合うまでのプロセスやその後のことを考えると、ベトナム女と恋愛する方が面倒臭いと思います。日本の場合、とりあえず告白でOKをもらえれば、あとは常識の範囲で何をしても基本OKなわけですから。
恋愛&結婚関連については以下の姉妹サイトでも解説しています。
ベトナム色白至上主義
とにかく日焼けを恐れるベトナム女性。上の写真のようにバイクに乗るときの日焼け止め対策は完璧です。こんな格好で知り合いにあっても当然誰かは認識することができません。
ベトナムでは色白信仰が絶対なので、生まれつき肌が白い人は全力で白さを保つように努め、もともと白くない人でもこれ以上黒くならないように日焼け対策をしっかり行います。テレビで見る女優など、ベトナム社会で美人と言われるのは色白なのが絶対条件なんですが、色黒でも美人の人は世の中にいるものです。でもこちらの社会では黒い時点ですでに美人の土俵にはあがれないのだとか。。。
そもそもベトナムでは色黒の人は貧しい農村の人というイメージがあり、生活が豊かでない人とみなされるケースもあるようです。一方色白の人は農作業に従事する必要がないぐらい裕福な人や都会的で洗練されているような人という印象を抱かれやすいようで、これは男女どちらにも当てはまるそうです。
そもそもベトナム人のルーツは中国からの血統を継いでいる人も多く、遺伝的に色白の人も結構います。なまじ隣のカンボジアのように全員がある程度色黒であればそういった肌の色の意識も生まれないんでしょうが、中途半端に混在しているからこそ、色白至上主義ができあがってしまったんでしょう。
先日オフィス街を歩いていたときに、初めは曇っていたんですが急に雲の割れ目から日光が差し込んできたことがありました。その途端周りを歩いていた女子は一斉に、
「キャーーー!」
といって陰のあるところまで走っていきました。この光景にはさすがに私も
「こいつらバンパイアか!」
とツッコんでしまったものです。
因みにベトナム人の女の子も色白の男のほうが好きなようで、理由は上に書いたことと同じようです。ベトナム人の男友達に
「色白でブサイクな子と色黒で可愛い子やったらどっちがいいん?」
と聞いてみたところ、
「それはナンセンスな質問だよ。」
と返されてしまいました。どういう意味や???
席を譲るベトナム人&譲られるベトナム人
ベトナム人の友人から
「日本人はお年寄りにあまり席を譲らないね。」
と言われたことがあります。
日本のバスや電車で高齢者に席を譲る光景は見ないこともないんですが、ベトナムのそれと比べると確かに割合は低いのは否めません。ベトナムでは高齢者(というかおじさん、おばさんでも)が乗ってくるとなんの躊躇もなく若者が席を譲ります。それが当然の行動なので、譲られた側も特に恐縮することなくそのまま席に着きます。
日本の場合は席を譲りたいにしても、何か気恥ずかしかったり、この人は席を譲るくらい高齢なんだろうかと、色々考えてしまったりするのかもしれません。そこは何も考えずにとりあえず譲ろうくらいの精神が必要なのかもしれませんね。
私が日本にいた頃、高齢者に席を譲ろうとしたある若者がいました。ただその高齢者がかたくなに譲られるのを拒否したので、結局また席に座りなおすその若者。その時のバツの悪そうな表情は今でもはっきり覚えています。こういったケースでは素直に譲られなさいよと思ったものです。
ベトナムのように平均年齢が30歳に満たない国の場合、高齢者は希少なので労られやすい気がします。私の勝手な解釈ですが、日本ももう少し高齢者の数が少なかったら今より労られているんじゃないのかなぁと…最近は貧困老人とかやたら高齢者に関する暗いニュースが多いですし。。。
もしベトナムが日本のように高齢者があふれている社会になるとその在り方がどのように変化するのでしょうか。因みにベトナムも将来高齢化社会に突入するのはほぼ確定しています。
金槌が多いベトナム人
日本人と比べるとベトナム人で泳げない人の割合はかなり多いです。割合的には3~5割近く泳げないかもしれません。(特に女性)
この理由は単純で、一般の公立学校にはプールがないことから必然的に水泳の授業がないためです。なので泳げる人といったらプール施設のある私立学校や水泳教室に通っている人か、田舎の川などで自力で学んだパターンのどちらかということになります。
なので海沿いでない都会育ちのベトナム人では結構泳げない人が多いというわけです。
日本では泳げないのはカッコ悪い印象を受けますが、こちらではそれほどでもないようです。まあ半数近くが泳げないわけですからそれも頷けます。
私の嫁も例外ではありません。旅行に行ったときの宿泊先でプールに入ったんですが、足がつかないところへは決して行こうとせず、明らかに水を恐れていました。なるほど、子どもの時から水に慣れずに育つとこのようになるのかと感じたものです。
そう考えるとプールが当たり前のように学校にあるというのは恵まれているんだなぁと実感しました。私も一応都会育ちなので、プールのない環境で育っていれば今も泳げない可能性は大いにあるわけです。
ベトナムの各学校にプールが設置されるのはいつになるんでしょうか。仮に私の子どもがベトナムで生まれ育ったとしても、泳ぎを知らない子どもにはならないようにしたいものです。
ベトナムの日本料理屋で見苦しい日本人を見る
「いらっしゃいませ~」
ベトナムで日本料理の店に入ると少し不自然な日本語でこう言われます。これはどこの店でも共通ですが、客層が日本人の方が多い店の場合、たいていこの後の接客も日本語で受けるケースが多いです。
接客の質は店の教育によって様々ですが、日本基準というよりベトナム基準で見ればまあ普通の店よりはしっかりしているところがほとんどです。
ただしここはベトナム。何かトラブルや粗相があった際のフォローの仕方が日本と同じというわけにもいかず、よく立腹されている日本人を見たり聞いたりすることがあります。
私の場合、自分がベトナムに居て、日本料理屋と言えど相手がベトナム人であれば大抵のことは流せてしまうんですが、そこそこ高い金を払って日本のサービスを当然視している人にとっては同じ目に遭っても腹の立つ度合いが大きいのだろうなぁと感じています。貧乏くさい話、接客サービスの質は現地ローカルでもいいから、おいしい日本食をもっと安く食わせてくれ!と思っているのは私だけでしょうか?
ところで日本でも店員に対して横柄な客がいますが、先日こちらでも怒り狂っている日本人客がいました。細かい理由はよく分かりませんが、口ぶりではどうやら「持ってくるのが遅い&品違い」なようです。
とりあえず最初はやかましいと感じていた私。ですがその客の怒りの矛先がその店の批判からベトナム人の批判に変わっていきました。
「ベトナム人を否定するとしても、今言うことちゃうやろ。」
率直にそう感じたものです。その人の出身がどこかは分かりませんが、例えば大阪に来てひどいサービスを受けたときに、大阪人のことを大声で否定するようもんでしょう。そんなことしたら周りの大阪人にボコボコにされそうなもんです。
海外(特に新興国)に来る日本人でその辺りの分別がない人を見ると呆れてしまいます。そのとき居合わせた他の日本人も同じように感じていた方が何人かいたようですが、海外に来て日本人から恥ずかしいと思われるような振る舞いはしたくないものです。
*今回の話と写真の店は何の関係もありません。
そういえばベトナム人の爪先って…
自分の爪先を見たときにどの指が一番長いかという話題。私は親指が一番長くてそこから小指まで順番に下がっていってる形です。日本人としてはこれが一番多いタイプなんで特に何とも思っていませんでした。
ところが大学生のときに足の人差し指が一番長い友人がいたので当時ネットでしらべたことがあります。
この図のように日本人はエジプト型が多いらしいんですが、その友人はギリシャ型だったわけです。当時初めて足の指の形に名称があることを知ったきっかけでした。
それから10年余り。ベトナムでは気候がら男女ともサンダルを履いている人が多いので、無意識でも爪先が目に入る機会が多分にあります。私も特に意識して見ることはなかったんですが、ある日たまたま
「この人は人差し指が長いなぁ~」
と、ボーと例の友人のことを思い出したことがありました。それを意識して他のベトナム人を見回すと皆人差し指が長いじゃありませんか!そこで改めて
と地味に発見してしまいました。
とりあえず家に帰って嫁の爪先をチェックすると、例に漏れずギリシャ型でした。嫁に足の型について説明すると、
「それで?」
特に関心がないようです…何となくムカついたんでとりあえず四の字固めをかけておきました。
ベトナム人は声が大きいか?
タイトル通り、ベトナム人は声が大きいか?
答えはイエス。
それで終わりだと味気なさすぎるので、もう少し文化的な側面も入れて掘り下げてみます。まず騒音に関するうるささでは間違いなく日本よりうるさいです。交通のクラクションは以前にも書きましたが、マンションや集合住宅でカラオケ大会をやったり公共の場で大声で話したりなど枚挙に暇がありません。
こういった部分については慣れるものと依然ムカつかされているものが混在しているんですが、単純に声がでかいという部分について少し考えてみたいと思います。
日本に住んでいても声がうるさいとよく話題にされる中国人。ベトナム人でもその要素は大いにあります。ただ彼らに言わせると中国人の方がはるかにうるさいとのこと。正直私にしたら団栗の背比べでしかありません。
ところが声がでかいといっても単純に一括りにできないことが最近分かってきました。
・電話の声がデカい(特に年配の人)
年配の人の方が声がデカいというのは程度の差こそあれ日本にも当てはまる気がします。ただし背景には昔のベトナムの携帯電話は通信環境の問題で大きな声で話さないと聞こえにくかったらしく、電話の声が極端に大きいのはその名残もあるのだとか。他にも周りがうるさいから電話の時はいつも大きい声で話していたため、今では自然とそのボリュームがデフォルトになっているのだとか。本当かどうかは分かりません。
・エレベーター内で声がデカい
日本ではエレベータ内では話さないか小さい声で話すのが常識ですが、ベトナムではお構いなしの音量で話します。
「こんな密閉した空間でデカい声で話して、うるさいって自覚ないんか?こいつら耳悪いんかな??」とよく感じます。
ただもう少し観察してみるとこの傾向は比較的オバハンに多いように思います。厳密に言えば子どもを産んだ経験のあるぐらいの年頃(つまり30才ぐらい以降)ぐらいでしょうか。
邪推ですが子どもを産むとベトナムの女の人は悪い意味で恥じらいをなくす人が多いですからそうなってしまうんじゃないかなぁと思います。爪楊枝を咥えながら外を闊歩しだすようになるのも大体この世代からなのかなぁと。。。(もちろんそうじゃない人もいます)
というように騒音というか声量という意味では家庭をもってある程度の年月が経った人たちがうるさくなっていくような気がします。もちろん学生がバカ騒ぎしたり、若いOLが世間話で盛り上がってうるさいとかいうことはありますが、声量という意味では上に書いたような感じになると思います。
もうすぐベトナムにも電車が開通するようになりますが、車内での声量がどんなふうになるのか興味深いところです。
ベトナムの墓を見てモラルを考える
来月からベトナムでは旧正月にの次に大きいイベント、中秋節の時期に入ります。こういった特別な時期は先祖の墓参りをするのが一般的ですが、今日は少し墓参りについて考えました。
まずベトナムの墓ですが、まだまだ土葬が一般的な社会なので墓のサイズは日本のものよりも若干大きめです。最近は政府が火葬を奨励する動きもでているようですが、身内を焼くということに抵抗を感じるベトナム人も依然多いようです。
墓地はというと、霊園として区画が整備された比較的新しい墓地以外は空いているところに墓をたてるといった感じでしょうか。なので特に田舎の墓地内では明確な通路といったものがなく、場合によっては他人の墓を乗り越えないと自分たちの墓に辿りつけなかったりします。日本の古い墓地でも稀にそんなところがあったような気がします。
ところで墓参りをするときには線香であったりお供え物であったりと少なからずゴミがでますよね。ベトナムの田舎ではそのゴミを持ち帰らずにその場に捨てていく人が多いです。なので墓地内にゴミが多いこと多いこと…
他人の墓の周りにゴミを捨てることについて何も感じないのかと不思議に感じてしまいます。死者が眠っている場所にゴミを捨てるってのはある意味他人の家の前にゴミを捨てるよりタチが悪いような気がするんですが。。。
そもそもゴミ捨て場とかもないわけですが、仮に設置したらベトナム人の皆さんはそこにちゃんと捨てるんでしょうか。正直それも疑問です。
最近ではモラルを改善する取り組みがあちこちで見られますが、都会はともかく農村地域ではかなり大変だと思います。実際に根付くには最低でも一世代入れ替わるぐらいかかるんじゃないだろうかと。
今の40代より上の年齢層にはモラル的な部分で大幅に改善させようとしても無理でしょうから、恐らく今の20代~30代の子どもたちが大人になったときに少し改善の目途がたってきたという感じになるんじゃないでしょうか。
私がおじいさんになった頃ぐらいには大幅に改善されているのを期待したいものです。
ベトナムの「マリアオザワ」って?
以前どこかで書きましたがベトナム国内では韓国やインドの海外ドラマが多いですから、日本の芸能人の印象は非常に薄いです。なのでそれなりに日本通のベトナム人以外は日本のメディア関係の人は全然知らないといったことになります。
しかしその一方で、ベトナムで有名な日本人の芸能人は?って聞いたら「マリアオザワ」という答えが返ってくることも珍しくありません。これは全然日本通じゃない人にも当てはまります。当地でも彼女がセクシー女優であることは周知の事実。私の嫁も知っていました。しかしポルノ禁止の国で日本のセクシー女優が有名というのも何とも皮肉な話です。
ところでこういう現役のセクシー女優は日本だとあまり表立った媒体にでないものですが、先日電子新聞に普通にインタビュー記事が載ってました。老若男女目を通すようなサイトですから、少し異様な感じがしましたね。日本でいったら普通の新聞にセクシー女優の記事が載ってるようなものですから。
インタビューの内容も思いっ切り仕事内容について。どうしてこの業界に入っただとか、いつまでこの仕事を続けたいだとか。ヌード写真がないだけで日本のスポーツ新聞とさして変わらないようなものです。
中国で蒼井そらが大人気のように、インターネットが普及している現在ではどれだけポルノを国で禁止にしようがほとんど意味がないように思います。正直国の政治家もそんなことは分かってるんでしょうが、「じゃあ解禁にしよう!」て発言できる猛者はいないんでしょうねぇ。そりゃ政治家生命にかかわるリスキーな発言なわけですから。
日本も同じで、もし「無修正解禁!!」て言える政治家がいたら面白いと思います。世間の反応はどんな感じになるんでしょうか。個人的には海賊版とかグレーな部分を浄化するには一番効果的な気もするんですが…
ベトナムでも勿論「嫁vs姑」はある
嫁と姑のバトルはどこでも聞きます。私の場合は私がベトナムに住んでいるので、その部分については特に気にする必要もないんですが、ベトナムの嫁vs姑というのも中々激しいものです。
ベトナムの場合、結婚したらとりあえず旦那側の両親と一緒に住むケースが多いので必然的に嫁は姑と対峙しなければなりません。勿論みんなが皆その問題に悩まされているわけではないんですが、やはり日本と同様両者それぞれの考え方の違いから衝突することが多いようです。でもってそのバトルが勃発しても旦那は役に立たないという…日本と似たようなもんですね。
ただベトナムでは基本的に年長者の意見が尊重されますから、日本と比べると内心ムカついていても、じっとこらえている嫁の割合が多いように思います。
最近まで放送されていた嫁vs姑を題材にしたドラマがベトナムで流行っていました。中々面白くて、両者の不仲が原因で結果離婚してしまうという結構シュールな内容です。まあ私が若い世代ということもあり、どうしても姑の主張には賛同できないものが多かったです。
こういった話をいろいろ見たり聞いたりしてきましたが、概して自分のやり方を強要したり自分の色に染めようとする姑はウザいですね。世代がちがうから考え方や常識に関して同じじゃない部分もあるはずですが、それを頭ごなしに否定するようなのは了見の狭い姑だなぁと思います。一方嫁は嫁で昔と比べたらそりゃ舐めた態度の嫁も増えたと思いますが、まあそれもその嫁を選んだには旦那(息子)なわけですから、旦那(息子)に委ねたらいいんじゃないでしょうかねぇ。。。
私の意見では、お互い適度に放置ぐらいが一番いい距離のような気がするんですが…
どうですか?
下心だけでベトナム語が上手くなるわけがない
今日は辛口な意見を少し。
以前ベトナム語が話せなくても現地で十分生活ができるという主旨の記事を書きましたが、もちろんベトナム語が話せる日本人も少ないながら一定数いらっしゃいます。
ベトナム語が話せる人は、
①大学でベトナム語を学んでいた
②ベトナムへ留学経験有り
③現地に渡ってからスクールに通った
④現地に渡ってから自力で学んだ
大方この4つのどれかに分類されます。私は④に入るのですが、①~④のどれにも属さない人で、自然に話せるようになったとかいう人とは出会ったことがありません。
よく私がベトナム人の妻がいると言うと、
「あー、だからベトナム語が分かるのか。」
と、いつも言われてしまいます。
正直これにはうんざりします。そもそも私の妻はベトナム語しか分からないので、出会う前からベトナム語が分からなかったら関係が発展しようもありません。
考えてもみてください。英語が全く分からない人が英語しか分からないアメリカ人の女性と付き合えるんでしょうか?相手にされないでしょう。
どうもその部分を勘違いしているのか、恋人がいれば自動的に言語を習得できるかのような口ぶりの人がたくさんいます。(特にオッサン)
「俺にもきれいなお姉ちゃんがついてくれてたらベトナム語覚えるんやけどな(笑)」
みたいなことを言うオッサンに限って実際そのシチュエーションが整っても習得できないのがオチでしょう。今まで出会った日本人のオッサンで下ネタのベトナム語だけ分かるとか言ってた人がどれだけいたことか。。。
そもそも上の①~④に当てはまる人は相当な時間座学をしているはずです。文法を書きとったり、音声を聞いて何度も復唱したりとかなりの時間を費やしたことでしょう。それだけの努力をしたにも関わらずベトナム語が依然話せないというのであれば、その努力は必ず別の部分で生きてくるはずです。少なくとも読み書きの部分に関しては相当力がついているはずです。
そんな座学の努力もせずに語学をものにしようと考えている人に「喝!」と言いたい。それならまだ「できない、学ぶ気もない」と開き直っている人の方が気持ちがいいものです。
かく言う私もまだまだベトナム語については発展途上。日々語彙を増やす努力をしています。
無理にアオザイじゃなくてもいいような…
ベトナム人女性のイメージと必ずセットで出るのが伝統衣装のアオザイ。日本で言う着物と同じような扱いですが、着物よりもさらに普段から目にする機会の多い伝統衣装です。
南部では白いアオザイが女子学生の制服として指定されているところが多いですが、北部ではそういった学校は珍しく、卒業式や何か特別な式典のときにだけ着用されるのが普通です。
そんなわけで先日ベトナム政府から学校に対してアオザイを週に1~2日ほど制服として着用するように呼び掛ける動きがありました。一応狙いとしては自分たちの伝統衣装を尊重するためということらしいのですが。
まあ確かにアオザイは着物と比べて着やすくて動きやすいと思いますが、白いアオザイを強制的に着用させられる女学生たちの心境はどうなんでしょう?
最近では女子高生でもそれなりにファッショナブルな服装が流行ってきつつありますから、時代に逆行するような制服を強制させられるのは好まないかもしれません。
そういえば日本のどこかの学校でポニーテールを禁止するというニュースを聞きました。その髪型でうなじが見えたら男子生徒が欲情するかもしれないからとの理由らしいです。じゃあお団子頭はOKか?とすぐに考えましたが、そもそもそんなことが公に出る前に校内で誰も止められなかったんですかねぇ。
うなじが見えるぐらいで理性をおさえきれないような男子生徒を抱えている学校の教育体制もどうなんでしょうか。何か違った特別な理由があることを祈ります。
ベトナム人の男友達にこの話をしたら爆笑してました。
「日本はおもしろいね。高校生でもエロい動画とか見てる人たくさんいるのに、うなじだけでも欲情できるの!?(笑)」
全く返す言葉もありません…
日本では当たり前でもベトナムでは神対応
昨日嫁とスーパーで買ってきたキムチを晩御飯のおかずにして食べていたときの話。
嫁「キャー!」
私「???」
嫁「キムチに青虫が…」
とりあえず青虫を取り除いて食べ続ける私。一方もう食べようとしない嫁。
以前野菜をネタに書き込んだときも話した通り、野菜に青虫がいるのはちょくちょくあることでして、キムチを作るときに注意しないでやったんやろなぁとスルーしてしまう自分がいました。
嫁「あなた、よう平気で食べれんなー」
私「別に体に悪いもんでもないしな。てかもったいないやん。」
と、よくある日常風景ですが、私が日本のスーパーだったらありえないということを説明したうえで、無償で取り換えてくれるとのことを言うと嫁は驚いていました。
ベトナムの場合では青虫レベルでは会社のイメージ低下にはならないんですかね?まあもし私がそのキムチを買ったスーパーに怒鳴り込んでタダで交換しろなんか言っても「は?何言ってんのこの人?」みたいな扱いで終了でしょう。
仮にごねまくって交換できたとしても店側は原因を追及とか、別のキムチも全部回収みたいなことはしないと思います。まあ針とかが入ってたとかなら分かりませんが。
他にも料理に髪の毛が入っていても交換してくれると言っても驚いてました。
嫁「じゃあ、もしお客さんがわざと自分の髪の毛を入れたらどうすんの?」
私「まあ証拠が見つからんかったら交換するやろな。そんな奴も昔は結構おったらしいで。」
嫁「ふ~ん。日本のお店も大変やな。」
そう。大変なんですよ。私も日本で接客業の経験があるからよく分かります。気持ちのいいサービスが当たり前になればなるほど、接客する側のプレッシャーも強くなります。最近ではベトナムも日本の接客を見習うような動きがありますが、どのレベルまで見習えるのか。
私は問いたい!!
日本人みたいな顔のベトナム人も多い
ベトナム人の顔と言ってもいわゆる東南アジア系の顔立ちじゃない人も多いので、ぱっと見日本人と比べてもそれほど違和感のないような見た目の人も多くいます。そういう人が日本で街を歩いていたとしても、誰もその人が外国人だとは思わないような感じです。
ということもあって日本人でもベトナムで普通にベトナム人に間違われるケースもあります。特に外国人が普段いないような場所ではそういったことがよくあります。
私が住んでいるマンションは基本ローカルのところなので、何も話さなければまず私はベトナム人だと思い込んで接してきます。ローカルの食堂や市場なども然り。
しかし行くところに行けば初めから「外国人かな?」てな態度で接してくるケースもあるわけでして、例えば
①観光地エリア→外国人が多いから
②スーツにネクタイ姿→ベトナム人は仕事でネクタイをしない
③日本料理屋→日本人が来る前提みたいになってる
と、普段の私の生活範囲で初めから外国人と見越して接してくれるのはこの①~③のケースぐらいです。それ以外は基本ベトナム人扱い…
ところで以前嫁と二人でそこそこ外国人が来るようなレストランへ行ったときの話。
席につくや担当のウェイトレスが注文を取りくるんですが、そのウェイトレス、嫁に英語で話しかけて、私にはベトナム語で話しかけるではないですか。嫁は英語がよく分からないので、私がその英語を聞いて嫁にベトナム語へ通訳。しかし私のベトナム語も外国人のベトナム語なのでウェイトレスも少々混乱気味。私も少し頭がごちゃごちゃになりましたが、ふと正気に戻りました。
「ちょっと待ったらんかい!ワレ何で嫁に英語で俺にベトナム語やねん!!ベトナム人はそっち(嫁)や!!!」
てなもんです。まあ嫁の顔は私よりもベトナム人っぽい顔じゃないんで無理もないんですが。。。(よく冗談で目の部分だけに注目したらインド人とか言われています。)