ベトナムってどうなん?

ベトナム人と家庭を築きながらベトナムを考える

ベトナム共産党の首席が急逝したって話

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タイトル通りですが、ベトナム共産党の主席が急逝しました。国内では告別式の期間中はニュースキャスターが喪服を着用していたり、娯楽イベントを自粛させるなど弔いムードを出しています。葬儀に関してはその中継も国営テレビで放送されていました。

 

しかし私から見て何となく違和感が…主席が急逝となると日本で言えば総理大臣が急逝するようなもん(小渕さんみたいな)ですから、もう少し一般の人のリアクションがあってもいいように思います。しかし職場含め特に話題にはあがりません。(多分ベトナムにいる日本人で日本のテレビしか見ていない人はこの話題自体知らないと思います)政治的に無関心というわけでもないと思うんですが。。。というわけで身近な一般人である嫁に聞いてみます。

 

私「主席がなくなったけど、あんまり皆話題にせーへんよな?」

 

嫁「あんまり関心ないかな。党関係のことやし。」

 

「党関係のこと」。ここに全てが集約されているように感じます。ベトナムでは一党独裁で、政治に関する批判などは禁忌です。なので上で決めたことがそのまま人民に下りてくるという感覚なので、どこか他人ごとになるんでしょう。(実際他人ですけど)

 

政治に関しても今の政党が始まってから対抗の党なども存在しませんので、他との比較対象もありません。なので内心今の体制に不満を感じていたとしても代わりの党だったらどんな感じになるかなどの概念そのものがないように見えます。

日本もかつては自民党が大敗して当時の民主党が政権をもちましたが、結局自民党のほうがいい(マシ)というところで落ち着いて今に至っています。考えてみればベトナムの場合、他の政党に目が行くということもありませんし、党員を選ぶことも一般人にはできませんから、「直接かかわりのない人たち」という意識になるのでしょう。

 

日本の若者などに言われる政治的無関心とは似て非なる感覚のようです。ただ日本人にも言えることですが、すべての国民が政治家を選べるほどの判断能力があるわけではないのが悩ましいところ。日本の選挙も年齢を引き下げましたが、どうも政治家選びに失敗したときに、それを選んだ人たちにも意識的な責任を分配させるネガティブな思惑が私の頭の中に浮かんでしまいます。

 

今のベトナム人民に政治を自由に実行させてしまうと、それはそれでめちゃくちゃになってしまうような気がしますね。